久米島町では、毎年、久米島高校を卒業する離島留学生たちが3年間の想いのたけを綴る、離島留学卒業報告会を開催しています。
お世話になった地域の方々や保護者、友達への感謝の想いを語る、とても素晴らしい場です。文章だけでその雰囲気をすべて届けることは不可能なのですが、彼らのスピーチ原稿を、このブログにて公開していきます~。
今回紹介するのは、愛知県出身、若杉理沙子さんのスピーチです!
久米島高校に来たきっかけ
私が久米島高校を知ったきっかけは、母親が新聞記事に離島留学の記事が掲載されていたのを見つけてくれたことです。
その頃は、部活内での衝突や、高校進学など、色々と悩んでいました。
私は、同級生と高校は一緒になりたくないと思っていたのでこのような制度はとても魅力的に感じました。
私自身は部活の大会で説明会は行けなかったのですが、質問したい事をメモに書き母親にお願いしました。
実際にオープンスクールに参加してみて「絶対にここに行きたい!」と思うようになりました。
体験入寮の際、寮生の雰囲気も良くハウスマスターも優しい人だなと思いました。
選考の際スカイプだったのですが、当時の*館長が何を話しているのか全く分からず「~ですか?」しか聞こえなかったので全て「はい」と答えていました(笑)
ですが、無事選考を通過したので安心しました。選考の際は「新しい場所で一から自分で築き上げたい」と言いました。
それも事実ですが、一番の決め手は「直感」でした。
島で得たつながり
入学してからの学校生活は私が思っていた以上の実りあるものでした。
日にちが経つにつれ打ち解けていき沢山話すようにもなり友達の輪も広がりました。
部活も初心者でしたが、陸上部に入部し三年間励みました。
一年の夏頃に部内の友達と喧嘩になり口を利かなくなってしまいましたが、気づいたらいつの間にかまた仲良くなっていました。
テスト前には毎回友達の家に泊まりに行き一緒にテスト勉強をするようになりました。
夏休みにも一週間程友人の家に外泊したり、友人が私の実家に泊まりに来てくれました。
また、地域の方々とも関わるようになり、色んな行事に参加するようになり、先日儀間で行われた追い出し会にも参加しました。地域の方がたもよその地域から来た私を暖かく迎え入れてくれました。
もし私が愛知の高校に進学していたらこのような充実した生活は過ごせなかったと思います。
この学校を進めてくれた両親にも感謝しています。本当にありがとう。
いつも気にかけてくれた島在住の姉
久米島で過ごした三年間の中で一番お世話になった身元引受人でもある*姉にはとても感謝しています。
入学当初から私を気遣って声をかけてくれたり、病気やケガの際にはすぐに駆け付けてくれたりといつも気にかけてくれており、私のわがままにも付き合ってくれたり友達も一緒でご飯に連れて行ってくれたりと私の為に時間をさいてくれていました。
*理沙子さんはお姉さんが久米島在住
寮で過ごした日々
寮生活においては、寮生同士の揉め事、ハウスマスターとの衝突、イベントなど色んな出来事がありましたがどれも全て記憶に残るものばかりです。
私にとって寮生は家族同然に思っており、何気ない毎日がとても幸せに感じました。
同級生や後輩とご飯を食べたり、おしゃべりしたりとても楽しい時間を過ごすことが出来ました。
ハウスマスターには相談をしたり、一緒に対策などを考えてり、時に意見が合わなくて激論をかわしたり、色々ありましたがそのおかげで自分の意見をはっきりと述べれるようになりました。
中学生の頃の私は自分の意見をあまり主張しなかったのですが、この三年間で私自身大きく変化することが出来ました。
誰よりも濃い3年間
久米島で過ごした三年間は誰よりも濃く一番充実していたと思います。
私達を受け入れてくれた島の人には感謝でいっぱいです。
久米島にきて本当に良かったと心の底から思っています。
沢山の友達に恵まれ、寮でも一生の友達に出会うことが出来ました。
久米島に来るという大きな決断は私にとって良い結果となりました。
将来は養護教諭として久米島で働きたいと思っています。
私達を迎え入れてくれて本当にありがとうございました。
たくさんの支えがあったからこそ三年間無事に生活して来れました。
今度は私が沢山の人を支える存在となり久米島に恩返しをしようと思います。
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