久米島町では、毎年、久米島高校を卒業する離島留学生たちが3年間の想いのたけを綴る、離島留学卒業報告会を開催しています。
お世話になった地域の方々や保護者、友達への感謝の想いを語る、とても素晴らしい場です。文章だけでその雰囲気をすべて届けることは不可能なのですが、彼らのスピーチ原稿を、このブログにて公開していきます~。
今回紹介するのは、東京出身、飯塚隼太くんのスピーチです!
好奇心から移り住んだけど、、、
私が久米島に来た理由には、自立したいということもありましたが、実際はそんなことを1割くらいしか考えていませんでした。
『ただ沖縄に行きたい』とか、好奇心でこっちに来ようと思っていて、久米島に初めて来たのも、12月の離島留学選考に受かってからでした、
最初は入試のときに友達が出来たので学校が始まってからもなんとかなるだろうと甘い考えでいました。
でも実際に始まってみると、なかなかうまくクラスで関わることが出来ませんでした。
1学期の前半は、自分から選んできたのに、人に関わらず、島に対して文句をたくさん言っていました。でも、そんな中で、ここまで島になれることが出来たのは、野球部の先輩たちのおかげでした。
部活中にやさしくしてくれて、休みのときは遊びにさそってくれたりご飯に連れて行ってくれたりしました。
学校でお合えば話しかけてくれたり、いじったりもしてくれて、他の先輩でとも仲良くなることができ、とても嬉しかったです。
とはいえ、まだクラスにはなじめていませんでした。
それが出来たのは、里親の桃原さんのおかげだと思います。
同じクラスに桃原さんの子ども、優太君がいたので、それは私の中ですごく支えになりました。
優太君は学年の中でも人気者なので、他の事仲良くなるきっかけになって3年間楽しく生活することが出来ました。
本当の子どものように接してくれた島の方々
ひでみさんにもこずえさんも、泊まりにいったときには本当の親のように接してくれました。
1年生のときには誕生期ケーキを買ってくれたり、遠征が終わったりしたら焼肉に連れて行ってくれたり、とても嬉しかったです。
こずえさんが作ってくれた料理は美味しくて、その中でも中身汁が一番好きでした。
3月4日からまた10日間、お世話になりますがよろしくお願い致します。
他にも、野球部の友達の親御さんにも支えてもらいました。吉永さんはときどき、自分に弁当を作ってくれたり、熊谷さん家には何度も泊まらせてもらったり、とても迷惑をかけてしまったと思います。
自分も将来、このような関係を大切にしていこうと思います。
支えてくれた友の存在
話は戻りますが、私は1年の2学期にホームシックになりました。
学校や部活をさぼることだってありました。
3年間で、体調不良などで休んだのは1日だけです。
親と泣きながら電話をしたことだってあります。
でも、こうして学校にしっかり行けたのは、学校の友達のおかげでした。
学校に行けば、いつものように接してくれて3年間学校に行けたのだと思います。
後輩へ:後悔しない日々を
私は2年半野球しかしていなかったので地域の行事には全く参加していませんでした。
引退後も部屋にずっとこもっていたので、何もしない日々が続きました。
今さらですが、もっと何かをしておけば良かったと後悔しています。
だから島にいる在寮生には、後悔をして地元に帰らないで欲しい。
3年間ですべてをやり切ることは難しいかもしれないけれど、やれることはとことんやって欲しいと思います。
ミスをして責任を負うようなことがあっても、親やハウスマスターが何とかしてくれます。
だからやり切って欲しいと思います。
これから、そしてみんなにありがとう。
最後になりますが、私は大学にいって野球を続けます。今度は「する」から「支える」マネージャーになります。
そして、大学のキャンプで久米島に戻ってきます。
今はそれが楽しみです。
桃原さんにもたくさんの迷惑をかけました。それでも支えてくれてありがとうございました。
お母さんには感謝しかないです。
これから4年間、大学があるけど、なるべく迷惑をかけないようにします。
3年間、支えてくれてありがとう。
そして、寮生のみんなにもありがとう。
久米島にもありがとう。
みんなにありがとう。
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