はいさい!生まれは長崎にある久米島よりも小さな島。
人生の8割を九州のどこかで過ごしているハウスマスターの大石です。
先日、お世話になった人や友人を巡るために里帰りしてきました。
10日間で鹿児島、長崎、佐賀、福岡の4県を巡るという強気のスケジュール。
やっぱり九州って美味しいものに溢れてるなぁ、というのが率直に感じたことです。
もちろん、たくさんの再会がありました。
会いたいから連絡をして、会う約束をして、顔を見てお互いに今と未来の話をする。やることはそれだけです。
たったそれだけなのにすっきりするというか、夏服に衣替えした時のような身軽さを覚えるので、不思議。
再会が持つパワーは偉大だなとしみじみ感じる、非常に濃い時間でした。
ハウスマスター生活も三年目なので、卒業した寮生との再会もそれなりにあります。
話していて感じることは、ちゃんと久米高での学びとじんぶん館での学びの両方を抱えて旅立ってるんだなということ。それを今に活かせているかより、解像度高く自覚できているかの方が大切な気がしています。
卒寮生と話す時間はまるで答え合わせのようなワクワクできる時間です。
「こんな意図もあったんだよ」とか「そんなこと考えてたの?」とか。
寮生活の深みって、当事者として考えなきゃいけない問いが自然と降りかかってくるところにあると思うんですよね。無視はできるんだけど、結局後から自分にしわ寄せが来ちゃうような、そんな問い。
そしてやっぱり暮らしの場。
他者の言動やその奥にある価値観に触れ続けるので、自分の内側を揺さぶられることが多いんです。
ハウスマスターの私ですらそう感じているので、実際に渦のど真ん中にいる寮生は毎日ぐるぐるしてるんだろうなぁ。
そのぐるぐるの中にいると、最適解をつかむために自然と問いの形を変えていくことにもなります。自分自身で。
この環境で繰り返す選択や決断には、実用的で深い学びがたくさん詰まっているはずです。
実際に私が鍛えられてるなと思うのは、物事の受け容れ方。
言葉や行動を立体的に捉える視点だったり、過剰反応しない意識だったり。
イラっとすることからも面白さを拾えたり、悲しいことからも意味を見出せたり。
そういう感覚とともに、日常に彩りが増すフィルターのようなものを、ここで得られている気がしています。
そんな今の自分で改めて見つめる故郷だからこそ、あの頃は気づけなかった魅力がたくさんあったんだなと思えます。
さて、3月に入ればすぐに久米高卒業式と離島留学生卒業報告会。
そして旅立つ三年生のお見送りが待っています。
「再会から始まる何か」があるお陰で、お別れが持つ色も少し変わってくるのかもしれませんね。
ハウスマスター大石